Veniceの休日―夜編その2

  最初は明日の朝と言う話だったが、
「明日は結婚記念日で出かけるから
それなら今から行こう、夜のヴェネチアは美しいんだ。」
早速2人で彼の自宅を目指して歩き始めた。
もう夜の7時を過ぎ、夕闇が迫り始めていた。
Veniceは狭いので、そのギャラリーから島の反対側にある
彼の家まで歩いても30分ほどだと言う。
途中運河をゴンドラで渡り中心から少し離れた
彼の自宅の前に辿り着く。
5階建ての最上階に彼の家はあった。


Claudioの部屋からの眺め。
街の光が運河に反射して美しい。
Claudioは家に入ると、まず部屋の
明かりをつけずに、窓の外の眺めを
楽しませてくれた。
そのあとしばらくして明かりをつけた。



着替えを済ませ、頭に着ける懐中電灯を持って、
さっそく家の下につないであるSandoloへ。
水色のとてもかわいい小舟だった。
「これは古くて70歳くらいなんだ。」
そんなに古く見えないくらいちゃんと手入れされていた。
とっても大切にしているのがよくわかった。

まず陸の上で、基本の漕ぐ動作を習う。
ゴンドラと同じ要領で、1本の長いオール(3mくらい)を
船の片側のforcola(フォルコラ)にひっかけて漕ぐ。
ボートの前後にフォルコラは付いていて、
後ろで漕ぐ人は舵取りの重要な役目もある。
私は前の左側に付いたフォルコラに長いオールを掛ける。
肩幅で両手でオールを持ち、左足を下げて右足をオールの下の位置に。
身体は斜めに前のめりになる感じで、前後の足で重心移動をしながら
オールに体重をかけるようにして漕いで行く。
最初はぎこちない動きだが、とにかく実際に水の上にでて
体験してみるしかない!
10回くらい陸上で練習して,早速水上実技だ。
海にもここ10年近く行っていないのに、運河でいきなりボートを
それもSandoloを漕ぐなんて、信じられない。
不安になる暇もなく、必死に習った動きで漕いでいた。

ちょっとオールさばきが乱れると、
フォルコラからオールが外れて水の抵抗に負けてしまう。
オールには裏表があり、反対になるとオールが壊れるという。
オールの表(Vの字に木が継いである面)を上に、水面とオールが
平行になっている様子がニュートラルの状態。
オールを押しだす時に手首をぐっと持ちあげて、
オールが30度から45度くらい傾いて水に抵抗を与える。
「90度はトップレーサーの角度だ。」
確かに90度(垂直)にオールが傾いたらすごい抵抗だ。

「僕はカリグラファーはSandoloを漕ぐのも上手だと思うんだ。」
そ、それって、EwanとかMonicaだったからじゃないの?
確かに、この動きは力ではなく、バランスやなめらかな重心移動
といったダンスやリズムの要素が多いと思った。
もとバレエダンサーのEwanが上手いのは納得。
カリグラファーの端くれである私はもう必死で漕ぐことに集中した。

Grand canalに出ると、広くて波も高く、たくさんの船が行き来していて
ちょっと緊張した。大きい観光船などが近くを通ると、
その波で大きく揺れた。
道路と同じ、譲り合いながら、よけながら進んでいった。
Claudioは見事な舵さばきで、初心者の私のオールさばきにも
動じることなく進んで行った。
そして狭い路地のような横町に入っていった。
Veniceはその時改めて思ったのが、運河の幅がとても狭いということ。
小さなボートですら離合するのは困難なくらい。
とても狭い路地のような運河に入った時、
私のオールが壁にぶつかりそうになった。
「オールをしまって座っていいよ。」
長いオールを引き上げ、先を船の先頭に向けて置き、
船底に座った。
後ろではClaudioが右側で舵を取りながら船を進めて行く。
交差点や横道がある手前では
「オーエッ!」
と大きな声で知らせる。クラクションの役割がこの掛け声。
ちょっと狭い運河に入ると
さっきまでの喧騒はうそのように静かになった。

「ヴェネチアの本当の美しさはね、運河から眺めないと
分からないんだよ。なぜなら、当時の建物は
運河から主に出入りしていたから、
建物の正面が運河の方を向いているんだ。」

オレンジ色の街灯は、
水面に歴史ある建物を映し出して、
音のない水面下の世界を見ていると
どっちが現実でどっちが影だかわからなくなりそうだった。
時間が止まってしまったような気がした。

「Gondolier(ゴンドラを漕ぐ人)は世襲制がほとんどなんだ。」
へー、ゴンドラの世界も匠の世界なんだ。なんだか歌舞伎みたい。
「去年歴史上初めて女性のゴンドリアが誕生したんだけど、
彼女の父親もゴンドリアというわけだ。」

その話を聞いてからというもの、
ゴンドラを漕ぐ人を見る目がちょっと変わった。
彼らはプライドを持ってこの仕事をしているんだ。
親から受け継いだこのゴンドレアと言う仕事を。













Veniceの休日ー夜編その1


 夕方MonicaのWSが終わり、今回の展覧会のキューレターである
もう一人のMonicaと、フランスの画廊オーナーのマダム、
Monicaの友達で元生徒でもあるClaudioと一緒に、
別のギャラリーで開催されているというアラビック・カリグラフィー作家の
作品展へと向かった。

しかし、そのギャラリーに辿り着いた時、
肝心の作品は見当たらなかった。
なんとイラン人作家の作品は税関に引っ掛かって
会場に届かなかったのだという。

作家と作品がないまま、オープニングパーティーは
とにかく始まった。
ギャラリーのオーナーがワインと美味しそうなクスクスを
たっぷり用意していたのだ。
なんだか不思議な感じがしたが、私たちは一緒にクスクスをいただきながら
ギャラリーの責任者らしき、女性(黒いタイトなドレスと高いヒールを履いていた)
のスピーチ(もちろんイタリア語)を聞いていた。
すると、自分のスピーチの後、私たちと一緒に出展していた、
フランス在住のアラビック・カリグラファー
Hassan Massoudyを捕まえて、彼にお鉢を回してしまった。
Hassanも奥さんと一緒にこのギャラリーに来ていたのだ。

Museo Correrに出展している
Hassanの作品

大胆なアラビックの作品。
Hassann作

突然、何か言ってくれと頼まれても、イタリア語ができない彼は
最初尻込みしていた。
同じアラビック・カリグラファーだからと言って
突然彼にスピーチを押しつけるなんて
さすがイタリア人。大胆だ。
するとギャラリーの人がフランス語をイタリア語に通訳すると言う。
矢面に立たされてスピーチする羽目になった
哀れなHassanを後に、私たちは静かにその場を去った。

パーティー会場となった
ギャラリーの裏手のパティオの上を
見上げると・・・・。

Claudioは地元Veneziaに住んでいるイタリア語とイタリアの歴史の教師。
彼はSandoloと呼ばれるゴンドラに似た木製のボートを所有していて、
EwanとMonicaはそのボートに乗って漕ぎ方を習ったことがあった。
2人とも別々のルートでClaudioと知り合って。
その話をしていると、
「君も乗りたいなら乗せてあげるよ。」
と言う。
もちろん、断る理由は全くなかった!


Veniceの休日ー昼編

 活気ある朝のFish marketを後にして、
昨夜夕食の後にみんなで行ったジェラートのお店へ。
そこは数あるジェラート屋さんのなかでも
素材にナチュラルなものだけを使っているという
特別なお店だ。
イギリスではほとんど食べることはないけれど、
イタリアでジェラートを食べずには帰れない!
と思うほど、そこのジェラートは本当に
おいしかった!!!
全く舌触りが違う。
なめらかで、あと口がよくて、残らない。
甘すぎず、さっぱりとしていて素材の味がする。
どうやら、環境問題も意識しているようだ。
スプーンやパッケージなどもごみにならないよう工夫している。
そのお店の名前は"GROM"
食材はすべてオーガニックで、プラスチックも使用していない。
ジェラートの値段はというと、
スモール、ミディアム、ラージとあり、
スモールは€2、ミディアムは€3だった。
そしてうれしいことに、サイズを指定したら、
1種類でも2種類でも3種類でもその中に入れてくれるので
1個分の金額でいくつも味わうことができる。
その分1種類分の量は少なくなるけれど、
日本ではシングルサイズで3つも味わうことはできない(少なくとも福岡では)。

昨日ゆっくり見られなかったので再度
Museo Correrの作品展会場へと足を運ぶ。

コッレール美術館の入り口にはとても立派な
トロンプ・ロウユ(だまし絵)が壁と天井に
描かれていて、圧倒された。

どこまでが本物で
どこからがだまし絵なのか
ちょっと見たところではわからない。

このレリーフ状に見えるのはすべて
平面の絵。

この天井画もすべてトロンプ・ロウユ。

Monicaの作品はひと部屋分の壁面をぐるっと埋めていた。

全紙サイズの紙の半分に
さまざまなテクスチャーが
黒と茶のみで表現されていた。
どのページも美しく、
見ていてあきない。


Benno Aumann
ドイツ人、イタリア在住。

ちょっと他と雰囲気の違う作品。
墨とグアッシュ。

Ye Xin (Chinese)フランス在住

文化大革命のさ中
工場で働きながら書と絵画の勉強を続け、
のちに北京美術大学に学び
そこで教える。





30代でフランスに移住。
ソルボンヌ大学にて
"Writing and Painting"の研究で
博士号を取っている。



今回一緒に展示されていた
16、17世紀のイタリック・
ハンドライティングの印刷本。



Luca Pacioli(1509)

薄くて見ずらいが、左のページの
人間の側頭をAの形になぞらえているところが
ルネッサンスらしい。

Sallustio Piobbici(1664)


Giovannni Battista Palatino(1553)
 
Arrighi, Taglienteと並ぶ、Writing manual book
の著者でありカリグラファー。
”Libro nuovo d'imparare a scrivere"
(New Book for Learning to Write) 1540
は有名。


美術館の警備のおじさんに
「私の作品はこれなんですよ。」
と話すと、”Congratulations!"と
何度も何度も言って、握手してくれた。
とってもにこにことうれしそうに。
こっちまでうれしくなってしまった。
イタリアの人はとても素直に感情を
表現するので、ある意味わかりやすくて
人間っぽい。
仕事中でも個人や家族を大切にするし、
(仕事人間ではない分)融通がきく。
帰りに美術館の出口へ行くと、ちょうどまたこの警備のおじさんと会った。
そしたら、また満面の笑顔で手を振って見送ってくれた。
人の笑顔のチカラってこんなに気持ちを引き上げてくれるんだ、
と実感。





Veniceの休日ー朝編

今回の旅の目的だったオープニングパーティーも
無事終わり、その夜はみんなで食事に繰り出した。
しかし、いつのまにか10人に膨れ上がった仲間が
一緒に食事できるレストランはなかなか見つからない。
地元の人がいろいろと探してくれて、
何軒目かにやっと空いているところがみつかった。
もう足も痛いし、疲れも極限状態で
レストランに着いたころは夜の9時を回っていた!

イタリアはまだ夜でも外で
食事ができるくらい暖かかった。

私の前の席にはEwanが座って
天使のような微笑みを振りまいていた。


Monicaがこんなことを言っていた。
「日本で1カ月半滞在した時よりも、ここヴェニスで1週間WSをするほうが、
よっぽどストレスがたまって疲れるわ〜」

ー え、どうして?だってここはあなたの国じゃない?

Monica「だって今朝WS会場に来た時に机はあっても椅子が全然用意
されていなかったのよ!朝から椅子を探しまわらないといけなかったわ。」

ー だって、ここでのWSは今回が初めてじゃないでしょう?

Monica「だから、彼らは何が必要かなんて全く考えてないのよ。日本では
私は全くそんな心配をする必要がなくて、すべて完ぺきに準備されていたから
本当にリラックスできて楽だったわ。
これに象徴されるように、この国はそういうところなのよ。
日本は本当によかったわ。」

ふ〜む。
確かに、ちゃんと出来ているべきことができていない、というのは
よくあることのようだ。
それはイタリアに限ったことではないような気がする。
人によって対応はまちまちだし、スキあらば地下鉄職員ですらお釣りを
ごまかそうとする。
これはUKでのことだけど、お釣りにもう使えないスペインのペセタが
交じっていた。後で気づいたがもうどうしようもない。
まさか知らずにお釣りに使うだろうか。

この前PCのインクのカートリッジの中身をリフィルしてもらいに
近所のインターネットカフェに行った。
そこはイラン人がやっているお店で、1時間待たされてリフィルしてもらった。
新しく購入すれば£21なのが、£8。それも適当で、最初£7,85といったのに
そのあとから£8と言う。
大量に印刷していたら200枚足らずでインクが切れてしまった。
おかしい。このカートリッジは950枚程度は印刷できるはずだ。
持って言って尋ねると、
「このタイプは小さいから、100枚できればいいほうだ。
ノーギャランティーだ。」
と取り付く島もない。
いろいろ言っても無駄だと分かっているのでそのまま帰った。
彼ら(と決めつけたくはないけれど)はいつもこうなのだ。
悲しいけれどそういう傾向は確かにあると言える。
結局£8は高くついたことになる。

日本ではそんな人をあざむくような商売をしていたら
成り立たないのではないかと思うようなことが、こちらではよくある。
それで平気なのはどういう神経をしているのだろうか。
皆はそれでも気にしないのだろうか。
こういう日本人のメンタリティーは実はとっても貴重で素晴らしいのではないかと
最近思うのだけれど。

誰かが言っていた。
これからの日本が世界に誇れるものは政治でも経済でもなく、
思いやりやおもてなしのこころだ、と。
本当にそうおもう。このこころを世界に広げて行けたら
素晴らしいと。

次の日は、ゆっくりとVeniceの街を堪能することにした。
土曜日だったので、名物のFish marketを見に出かけた。
泊っていたB&Bからだと、運河の対岸だったので、
立ち乗りで運河を横切るゴンドラに乗る。

ほんの10分足らずだが、初めてゴンドラに
乗る体験ができた。
片道50セント。

朝は利用客が多い。

やっぱりヴェニスは運河から見るのが美しい。

対岸のFish market

新鮮なムール貝は日本では見られない。

白いタコ。

何も買い物ができないのが残念。
1週間でもいいからここに住んで生活できたら楽しいだろうな。


Veniceにて


 2時間余りのフライトはほとんど爆睡していた。
目が覚めて窓の外をみたら、青い空。
あーイタリアに来たんだ!
さっきまでのグレーのどんよりとした、
今にも雨の降りそうな空と打って変わって
眩しい光が降り注いでいた。
が、降下を始めて地上に近づくと
だんだん厚い雲が・・・・。
ヴェニスもお天気は良くなかった。

空港に降りて、到着ゲートから出る前に、まず荷物の体裁を整える。
ぎゅうぎゅうに詰めた革のカバンを取りだし、
元にもどしてから誰の迎えがあるわけでもないArrival gateへと
歩いていった。
すると、私の名前を呼ぶ声が。
気のせいかと思ったが2度も聞こえて声のする方を見ると、
なんとEwanがロープの外側に立って手を振っている。
思わず目を疑った。「どうしてここにEwanがいるの???」
走り寄って行って、あまりの嬉しさに言葉にならない。
期待していない人が空港の到着ゲートに来てくれていて、
それがEwan Claytonだなんて、そんなラッキーなこと
めったにないと思う。
話を聞いたら、彼の友達のDavidが私よりもずっと早い飛行機で
アメリカから到着していたのだけど、荷物が出てこない。
それを調べたりしていて、2時間以上も待っているのだという。
Davidの荷物が手違いでバーミンガムへ行ってくれたおかげで
私はEwanの出迎えを受けることができたということだ。

Lost & Foundで話しをする2人


おかげで、間もなく現れたDavidとEwanと3人で一緒に
Veniceへ向かうことに。

路線バスに40分余り揺られて、長い橋を渡ってVeniceに到着。
少し小雨がぱらついている程度で、ほとんど足袋も汚れずに済んだ。
ちょうどお腹が空いていたので、一緒にレストランでPizzaの昼食。
そこにEwanの友達のAshokとPaolaが加わって、
5人の賑やかなランチとなった。
Ashokはインド系イギリス人。ニューロ・サイコロジーが専門。
PaolaはVeniceの住民で、EwanやAshok,Davidがお世話になっている
B&Bもしている友達。

オープニングまでまだ間があったので、
夕方5時過ぎにみんなで私のB&Bに迎えに来てくれることに。
さすが、本場のPizzaはおいしかった。





初めてのeasyJet

 30日の夜10時半過ぎに、アマダンから帰宅。
荷物を開けるのと、明日の旅の準備を同時にしながら
朝着て行く和服の準備をする。
明日の朝は午前5時半の地下鉄に乗らなければ
間に合わない。
逆算すると4時には起きて着物を着なければ。
なのに、時計はすでに午前1時を回っていた。

10月1日の朝4時、緊張していたからか、
目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。
時々セットした時間の1分くらい前に目が覚めることがある。
体内時計はなんて正確なんだろう。

外は真っ暗。天気予報は雨だったけれど、
早朝駅まで行く時は降られずに済んだ。
着物と草履なので降られたら困る。
初めてのGatwick airport.
Victoria駅からGatwick expressに乗る。
ほんの40分程度なので、乗り過ごしたら大変。
でも、ついうとうととしてしまって、
はっ、と起きてきょろきょろ見まわしてしまった。
よかった、次の駅がGatwick airportだった。

今回の旅は、荷物はほとんどなくて、着替えくらい。
こんなに身軽な旅は初めてかもしれない。
easyJetを利用するのも初めて。
機内持ち込み制限内のちいさなキャリーバッグと
ちょっと大きめの革のカバンを持って行った。
駅と空港は隣接している。すぐにターミナルに入り、
入口で親切そうなおじさんが
「機内預けはCカウンターです」
と私のe-ticketを見て言う。
「荷物は預けるつもりないのに、変だなぁ。」
と思っていたら、なんとeasyJetは機内持ち込み手荷物がひとつ。
(最近ほとんどの航空会社がそうだけど)
私はどちらも小さいけれど、どちらかを機内預けにしないといけない。
ここでまた追加料金を取られたくなかった。
「しまった!こういうことなら、もっと大きいバッグと小さなバッグにしておくんだった!」
と思っても後の祭り。
カウンターの上でキャリーバッグを開けて、ほとんど同じくらいの大きさの
革のカバンをぎゅうぎゅうと押し込んだ。
何としてもここは1個の手荷物にしてクリアしなければ。
着物の羽織の上からもう一枚コートを着て・・・・
根性で詰め込んで、汗びっしょりになった。
が、なんとか問題なく搭乗することができた。
はぁ〜。



Crop circle

 日本ではなじみが薄いかもしれないけれど、
イギリスのWhiltshire(StonehengeやAveburyの辺り)
地域に特に集中して出現する「クロップ・サークル または
ミステリー・サークル」を見に行ってきた。

有名なWhite Horse。
このあたりの丘はChalk(貝殻の化石)
が堆積してできている。
少し地面を掘れば白い地表が出てくる。
この絵の馬は毎年表面をきれいに
してもらっているそうだ。

もちろんカリグラフィーに関係があるからだ。
今度9月にAnn HechleのWSを開催する内容が
” Sacred Geometry"なのだが、
彼女が10数年前にGeometryにはまってしまった
理由がこのCrop circleなのです。

毎年のようにCrop circleの追っかけをしていた彼女が
ある年、Crop circleに関連した講演会に参加、
そこで取り上げられていたのが
"Sacred Geometry"
すっかりそのミステリアスで美しい幾何学模様の魅力に
取りつかれてしまったということらしい。

麦やトウモロコシが育たないと出現しないこの美しい幾何学模様は
5月ごろから8月か9月の収穫の時期までしか見られない。
先日7月下旬に行った時は、隣の麦畑ではもう刈り取り作業が
始まっていて、見に行くCrop circleの畑じゃないかと
やきもきした。

とにかく、初めてこの目で実際に見た時の感動は
なんとも言葉に表せない。
とても不思議な力というか、人間の知っている自然を超えた
大きな存在を思わずにはいられなかった。


丘の上から2つのCircleを眺めながら
お昼のお弁当を食べて
歩きまわる体力をつけた後、
眼下に広がる広大な麦畑
に向かって移動した。




空にはマニアによるセスナが
何機も飛んでいた。
航空写真を撮るためだ。
そればかりか、
英国空軍のヘリコプターも
しばらく飛び回っていた。
彼らも気になっているらしい。



上から見るとそうでもないが、
実際に下に降りて歩いてみると
すごく広くて遠い。
車道から、麦畑をできるだけ荒らさないように
機械の通った後の細い道を歩いた。
どこまで歩いても歩いてもなかなかつかない。
こっちの畑の大きさを実感。

気が遠くなりそうな麦畑の道のり。

Crop circleの中。
その中に入ると、全く形がわからない。


大きな円の中心に、
麦が何本か縒られて立っていた。



男性が長い時間、
ずっと同じ姿勢で瞑想(?)
していた。


すべてのCircleの中心に麦の縒ったものが
立っていた。

今回は運のいいことに、私たちが行く前に
2つも出現した。
こちらの方は最初のCircleのとなりの畑に
現れていた。
これは出現して3日くらいの
比較的新しいCircleのようだった。
小ぶりだが、とても凝った形だった。
その形の全容は、後日サイトにアップされた画像を
見るまでは想像もつかなかった。

麦が倒された方向も
一定性があり、美しい模様を
形成していた。

とても細い線が縦横に走っている。



突然麦の中にできていた模様。
周りに麦が倒れた形跡がない。



この形が全容。


小さくてよくわからないが
帯状の模様がなんだか暗号の
文字のように見える。


 5月のまだ麦などが青い時に
現れたCircle.
本当に美しい。

立体的に見える模様。

画像ではよくわからないが、
中にも同じ形の模様が倒れた麦で
浮き上がって見えていた。




これらは6月に現れたもの。
ほとんどが同じエリアに出現している。




もっと詳しく見てみたい人は
こちらのサイトをご覧になってみてください。



Cambridgeのサイクリスト

 Cambridgeは坂がほとんどなく、フラットなので
自転車で移動する人が多い。
学生は自動車通学を禁止されているそうだ。

WSの5日間、知り合いの家に滞在していたので、
自転車を借りることができた。
イギリスでは初めての自転車。
知り合いの家とWS会場は街の中心をはさんで
北と南に大きく離れていたけど(10キロ足らず?)
大した坂もなく、性能のいい自転車だったので(21段変速!)
30分もかからずに通うことができた。
かなりスピードがでて気持ちよく通った。

1か所だけ、Cambridge唯一という坂道が途中にあった。
もちろんギアを軽くしたら、座ったままでもこぐことはできた。
が、なんと右側を後ろから来た自転車に追い抜かれたのだ。
それもあまり若くない女性に。
私は運動不足からか、すっかり息をあげてしまって、
スピードをそれ以上出せなかった。
悔しかった!
2日目もその坂で追い越された、それもまた女性。
信じられない。
Cambridgeの人はさすがに健脚だ。恐れ入った。

それにしても、サイクリストの多いこと!
朝の通勤通学の時間帯には、自動車よりも多いんじゃないか
と思うくらい、サイクリストの列が続いていた。
車道の端にちゃんと自転車用のラインが引いてあって、
みんなその内側を走る。
郊外の広い歩道は歩行者とサイクリストが通れるように
2車線になっていた(ちゃんと自転車通行可の標識が立っている)。
でも、街中の歩道が狭い場所は車道を通らなければならない。
車道も場所によっては2車線ないところも。
それでも、決して自転車は歩道を走らない(走ってはいけない)。
そこまでは私も知っていた。
びっくりしたのは、自転車も車と全く同じ交通ルールで
走っていたのである。
私は車道を走りながら、信号は歩行者の方を見て
都合のいいように(車と歩行者の邪魔にならない程度に)
走っていた。
最後の日、月曜日だったせいか、すごくサイクリストが多くて、
仕方なく前の人について走っていたら、
なんと車と同じ信号に従って止まったり走ったり。
赤信号で止まっていた自転車の人が青になってなんと左折していった。

 歩行者がいなくても左折しちゃいけないの!?

それよりもっと驚いたのは、
T字の交差点で、直進と右折のみになっているところで、
信号が赤でも車道の左側を走る自転車は直進しても
なんの不都合もないので、私は平気で直進していた。
感覚は歩行者と同じというわけだ。
それが、前を走っていた自転車は律義にも信号を守って止まったのだ!

 え〜っ、そこで止まるの!!!

私は急ブレーキをかけて止まった。

もしかして、それって私がなにも知らないだけだった・・・・?
自転車の交通ルールが車と同じことを
最終日に知ってしまった私は、
急に怖くなってしまった。
それまでさんざんルール違反していたのだから。
取り締まられなくてよかった!
きっとみんなに白い目で見られていたんだろうなぁ。
ごめんなさい!





帰国便でのこと

 6月8日の朝、福岡空港10.30発のソウル行きに乗るために
スタヂオを7時半に出たら
なんと10分くらいで着いてしまった。
タクシーの運転手がとても親切で
あまりの荷物の多さに(大小6個あった)心配してくださり、
わざわざ降りてきて、カートに荷物を乗せるのまで
手伝ってくれた。

ゲートが8時半に開き、セキュリティーですべての荷物を
X線に通すと、
機内預けの荷物の中の液体が引っ掛かった。

中を開けて出して見せた。
墨汁と膠の瓶である。
墨汁は問題なかったが、
膠(にかわ)を知らないというのだ。
これは油ではなく、日本画に使ったり
和紙に塗ったり、墨にも入っている、といくら説明しても
成分表がない、と言って信じてくれない。
膠の瓶には、それ以上書きようがないので
成分表など当然ついていない。
ちょっと古かったので変色して黒っぽくなっていたのが
いけなかったのだろうか。
それにしても、膠を知らないなんて、勉強不足だ。
日本画を描く人が持ち込むことなどないのだろうか。
なんどもやり取りを繰り返したあげく、
うっかり「舐めても無害ですよ。」
と口を滑らせた私に、すかさず
「それじゃ、舐めてください」
とちょっと貫禄のある係のお姉さんが
冷たく言い放った。
ここでせっかくの膠を捨てられたくないと思った私は、
ふたを開けて膠をなめた。
・・・・・・・・
ピリッと舌の先がしびれる感じがして、
絵具のような味がした。

それを見て、「もう二度と持ち込まないでくださいね。」
とお姉さん、私はやっと解放された。

やれやれ、
と荷物を持って次にカウンターへ並ぶ。
カウンターのお姉さんと途中まではスムースにやり取りしていた。
が、最後の方で機内持ち込みの荷物の量に目をつけられてしまった。
よほど虫の居所が悪かったのだろうか。
「機内持ち込みは一人1個までです!」
いつも持ち込んでいるチューブ(紙入れの筒)もだめだという。
今回はパネルもあったので、ちょっと目立ったのかもしれない。

ソウルーロンドン間が満席とのことで
荷物棚がいっぱいのはずだから、とまったく引き下がらない。
仕方なくチューブとパネルも預けることに。
20キロまでのところが、28キロになった。
(実際は27,5キロだった)
今回は多めに見てくれると言って
[Heavy 28kg]
の札をつけられる。
ちなみに1キロオーバーしたらいくらの追加料金か尋ねてみた。
「1キロ9000円です」
ひぇ〜!!!!!
8キロで72000円。それって今回の航空券の片道分よりも高い。

ソウルからの便は韓国の団体旅行客でいっぱいだった。
そして、団体客はほとんど手荷物なしで搭乗していた。
荷物棚が一杯だと言ったのはどこのだれ?
ヨーロッパ人は1割強くらいか。
私の隣は韓国人かなぁと思いきや
イギリス人の夫婦だった。
ニュージーランドに10年前に移住して
今はB&Bを経営しているという。
これから寒くなるので、4カ月の間
イギリスの子供や親せきの家を訪ねて回るとのこと。
南半球に住んで季節のいい時にいいところに住むという
理想的な暮らしをしていた。

ヒースロー空港に予定通り到着。
混んでいたがまぁ快適だったと思う。
後ろの席に座っていた韓国の子供が
ずっと大きな声で歌っていたのが耳についたけれど。

今回初めてミニキャブを予約していた。
荷物が多いことがわかっていたから。
到着ロビーに私の名前を書いた札を持った
キャブのドライバーが待っていた。
「33ポンドですよね?」
と確認すると
もごもごとはっきりしない声で
「駐車代も入ります」
キャブに乗って詳しく聞くと
なんと待ち時間も1時間20ポンド追加になるという。
え〜っ!そんなこと聞いていなかったよ〜!
今回はちょうど到着予定時刻から1時間足らずで出てこれた。
これって早い方だと思う。
「30分10ポンドでいい」という。
合計44ポンドとのこと。
なんか計算が合わない。
文句をいうと、「直接ボスと話してくれ」
初めてカーフォンで話した。
いくら言っても、「他のキャブも同じ条件」
の一点張り。「じゃあ42ポンドにする」
それって何?
結局つじつまの合わないまま、電話は切れた。
とにかく、33ポンドのつもりが42ポンドになった。
タクシーだったらいくらなのだろう?
ちょうどうちの近所に止まっていたので
ドライバーに尋ねた。
「ヒースロー空港からここまでいくらくらいですか?」
「およそ70ポンドだね」
そうか、どうりでミニキャブは強気だったわけだ。
70ポンドよりはそれでもずっと安い。
行きは28ポンド、帰りは42ポンドのミニキャブ代が掛かった。
一人で持てない荷物を持つと
こういうことになるということか。







Pesce家長崎に行く2

 

長崎へ出発の朝は早い。まだ完全に時差ぼけを解消していない子供たちは

早起きが苦手だが、なんとか予定の8時に出発。

前日ドライブしてもうほとんど日本の道路事情を理解していたマッシモは

快調に飛ばしていた。


快適にドライブするマッシモ

唐津から有田までの1車線はトラックが先頭を行き、のろのろ運転。

あまりの遅さにマッシモはびっくり。

イタリアでは考えられないスピードのようだ。

道路標識に40キロとあるのを見て

Inpossible(不可能だ!)

と繰り返す。

ヨーロッパは街中ならともかく、一般的に60キロくらいは出してもいい。

高速だったら100キロ以上。

もっと実質的な制限速度にして、ちゃんと守らせるようにした方がいいと思うのだが。

以前アメリカで車に乗っていた時、曲がりくねった道の制限速度は

本当にその速度以上出すと、危険だと感じた。だから、逆に標識の速度を

きちんと守れば安全だということになる。

必要以上に遅い速度で規制するのはおかしいと思う。

 

伊万里を過ぎ、佐世保、そして西海橋の手前でトイレ休憩。

長崎市内に入ったのは11時をずっと過ぎていた。

いよいよ街中で車も増え緊張(私が)してきた。

マッシモは全く落ち着いたものである。

しかし、長崎の町を知らない私のナビはかなり危険だ。


平和公園の下の駐車場に行きたくて、

ぐるっと回ってやっと辿り着く。

みんな本当に疲れた(と思う)。

ここの駐車場は午後8時まで最大600円とお得なのだ。

上に出ると平和記念像の前に出る。


平和記念像の前で











修学旅行の学生であふれていた。

韓国からの学生も多く、ちょうど像の前に並んで記念撮影をしていた。

マッシモを見つけて

みんな元気に「Hello!」と手を振るので、

マッシモも手を振って答えると、

さらに元気に両手を振ってはちきれんばかりの笑顔で

韓国の女学生たちが何か叫んでいた。

マッシモが彼女たちにカメラを向けるともう大変。

蜂の巣をつついたような大騒ぎになって、

みんなすごい勢いでアピールしていた。

なんとも元気のいい彼女たちだ。

マッシモはまんざらでもなさそうだった。

 

私たちが歩いて行く間、たくさんの学生たちとすれ違ったのだが、

みんな「Hello, Hello」と声をかけられた。

西洋人はみんなアメリカ人に見えるらしい。

マッシモはとってもサービス精神が旺盛だ。

イタリアなまりの英語で「How are you?」と返してやると、

話しかけてきた日本の女子中学生は「I’m fine think you!

ととってもエキサイトして返していた。

 

今回の旅行の目的である原爆資料館に入る。

館内ではぺルパオロが盛んに写真を撮っていた。

モニカは展示パネルの文章を熱心に読んでいた。

当時のアメリカのトゥルーマン大統領の言葉

「アメリカの数千の若者を救うために原爆を落とした」

というくだりを読んだ時モニカは絶句していた。

そのようなことが許されていいのか、と。

子供たちはなにか感じとってくれただろうか。


各国の核兵器の数を表示した

展示物を見入るモニカとペルパオロ

 

小さな食堂でちゃんぽんを食べる

ペッシェ家









お昼にちゃんぽんを食べて、市電に乗って寺町へ移動。

WSにも来てくれた長崎の生徒さんのH嬢に案内をバトンタッチ。

実は長崎が不案内な私は、原爆資料館を出たところで

彼女にヘルプの電話をかけたのだ。

もうお手上げだった。私にはとても彼らを案内することはできないと思った。

自分がどこにいるのかすらわからなかったのだから。

 

寺町電停でH嬢を見つけた時は本当にほっとした。

案内の責任から逃れた瞬間、

「とてもリラックスして見えるわよ。」とモニカに言われた。

よほど表情がこわばっていたのだろう。

やっと長崎の町を楽しめる余裕ができた。

すると、そこは何度も来てよく知っている商店街だった。

ウインドーショッピングを楽しんだ後、

おいしいコーヒーを出してくれる

小さなカフェに案内された。

そこは細い路地に椅子と台が置いてあり、

空の下でコーヒーをいただく。

そのコーヒーはとてもおいしくて、マフィンとブラウニーも手作り。

値段もとても良心的だった。


長崎はカトリック教会で知られているが、実はお寺もたくさんある。

教会がたくさん建てられていくのに反発して

仏教徒も頑張ってお寺をたくさん建立したのだと、H嬢が話してくれた。

その寺町に行くには長崎の街中を流れる中島川の石橋を渡る。その数12。

なぜこれほどまでに石橋が多く掛かっているのか。

それもお寺に行きやすいようにとの配慮かららしい。


路地に立ち並ぶせまい間口のお店や料理店を覗きながら歩いていると、

昭和レトロ風の懐かしい店構えのおでんやがあった。

モニカはすっかり気に入ったようで、ちょっと入りたいと言う。

そこでちょっとおでんをつまむことにした。

 

まるで映画のセットのような

店の中








初めて食べる「おでん」

モニカたちはもちろんおでんは初めて。

選ぶといっても何なのか分からない彼らの代わりに

私が適当に皿に取ってあげることになった。

しかし、なにが食べられるのだろうか???

無難な大根、厚揚げ、そして巾着などを

皿に盛ってあげた。

幸い、どれもおいしいと言って食べてくれた。

 

平和記念公園の駐車場を出たのは6時過ぎ。

マッシモの運転する車で、今度は途中まで高速を通って帰った。

私のいい加減なナビも、マッシモのすばらしい

ドライビングテクニックがカバーしてくれたので、

9時前には無事に銀河荘に辿り着いた。

(本当に途中の道は私も知らなかったので、

真っ暗な田舎の夜道を左側ぎりぎりに

川があったりとひやひやの連続だった)

 

子供たちは車の中では喧嘩もせず、ずっといい子だった。

時々ぺルパオロがかわいい声で歌っているのが聞こえてきて、

なごんでしまった。

役者志望だけあっていい声しているかもしれない。


この長崎行きの旅が終わって、私にとっては大きな責任を終えた感じだった。

誰も怪我などなく、無事に帰りついて本当によかった。


 

 


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